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2016年11月 6日 (日)

Like A Girl

もう2年程前になるでしょうか。

2014年にP&Gが公開した「Like A Girl (女の子らしく)」という
タイトルの動画が印象的で、いつか機会があれば、
シェアさせていただきたいと思っていました。


Image_2


P&Gの女性用衛生用品ブランド「always」のキャンペーン映像なのですが、
同年のフランスの国際広告賞「Epica Awards」のデジタル部門グランプリを
受賞したほか、翌2015年には、アメリカで最も高視聴率と言われる
「スーパーボウル」(プロアメリカンフットボールリーグNFLの優勝決定戦)で
短縮版のCMを流し、評判になりました。



3分余りの動画の冒頭では、

「WHAT DOES IT MEAN TO DO SOMETHING  “LIKE A GIRL”?」
(「女の子らしい」行動とは、一体何だろう?)という字幕の後、

カメラの前に立った数名の男女が、ディレクターの

 「女の子らしく(Like A Girl)走ってみて」
 「女の子らしく(Like A Girl)喧嘩してみて」
 「女の子らしく(Like A Girl)ボールを投げてみて」

という依頼に答えて、それぞれがイメージする動作をします。



その続きは、実際の動画を見ていただければと思いますが、

日本語字幕付きのものがあったので、今日はこちらをご紹介しますね。

  (P&Gの「always」は日本での「ウィスパー(whisper)」ブランドなので、動画中では
   オリジナルでの
「always」の部分が「whisper」になっています)





私にとって、この動画の中で最も印象的だったのは、
赤いドレスを着た小さな女の子でした。

「女の子らしく走ってみて、とお願いしたけれど、それってどんなこと?」
というディレクターの問いに、

「できるだけ早く走ること」と答えた彼女の姿は、
なんて毅然として美しいんだろう・・・と思いました。



この動画が訴えている、
「Like A Girl」という固定観念から女の子を解き放ち、
「女の子らしさ」をポジティブにとらえようとする精神は
大切なことだと私も共感します。


女の子が思春期に自信をなくしてしまう状況を変えたいというコンセプトは、
「always (whisper)」という製品の性質に合致しているとも思います。



ただ、それは何も、「女の子」に限ったことではなく、
「男の子」でも、同じでしょう。


男であること、女であること

母であること、父であること

娘であること、息子であること


性別によるジェンダーバイアスだけでなく、
年齢や職業、社会的な役割、人種や民族、国籍と、
人は多くの「固定観念」の中で生きています。


そして、さらに思うのは、

それらの「固定観念」にとらわれず、
「自分らしくいたい」・・・と人はよく言うけれど、


例えば、もし、人が

男でも女でもなく、

本当に年齢をまったく意識することもなく、

家族を形成する一員でもなく、

何の社会的肩書も持たず、

どこの国にも民族にも属さなかったとしたら・・・


自分が何であるかを明確に自覚できる人間が
どのくらいいるのでしょうか。

そんな中で、自分自身のアイデンティティを保つことが
できるのでしょうか。



男であること、女であること、

父であること、母であること、

年齢を重ねたこと、

そんなさまざまな要因や、それに基づく経験が人格を作ることもあります。


職業一つをとっても、その自覚や使命感、正しい形でのプロとしての誇りが、
心と意志を強くさせ、自身の人間性を高めることがあります。


自分の生まれた国、自分の属する民族を客観的に意識した時、
初めて芽生える感情もあります。



たぶん、私たちが否定したいのは、
凝り固まった概念と偏見の中に
他人を閉じ込めようとすること。

そして、その中に自分自身を無意識のうちにでも、
あてはめてしまおうとすること。



社会に蔓延する「固定観念」に縛られず、
他人の「偏見」に押し潰されず、
定型化された枠にとらわれず、
ステレオタイプにはまらないで
自分自身を確固と持って生きることは、

それらに流されつつ不満を言うよりも、ずっとずっと美しいけれど、
きっと、何倍も難しいことなんだろうな・・・

なんて思ったのでした。

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ココロとカラダ」カテゴリの記事

コメント

hananoさん、こんばんは。

動画を見ましたが、本当にそうなんだよなと感動の泪が出てしまいました。

女の子だろうが、男の子だろうが、その枠の中で閉じ込めてしまう閉塞感を植え付けているのは、周りの環境や大人達だと思うのです。男女の生物的な差はありますし、その意味で同じとは考えていません。それでも女の子らしいと感じる時そこには差別ではなくて愛情や自分にないものを発見するのです。

自分らしく生きること、何と素晴らしいことでしょう。hananoさんが書かれている様に多くの固定概念や差別的な意識の中で束縛されてしまいそうになることが確かにありますね。

その中で自分らしく生きることはある意味、強い意志を持って生きなければならないことでもあると考えます。そう容易いことではありませんが、自分が自分で有るために必要なことなのでしょうね。

投稿: omoromachi | 2016年11月 6日 (日) 19時38分

omoromachiさん、こんばんはnote
動画を見ていただいてありがとうございます。
omoromachiさんのコメントからは、共感力や人を深く思いやる心を
いつも感じますが、きっとお仕事でも、患者さんの気持ちのわかる
素晴らしいお医者さまなのでしょうねshine
私自身は過剰なフェミニズムには疑問を感じますが、
思春期の女の子の自信を喪失させるような周囲の感覚や思い込みを
変えていこう・・というメッセージには、素直に共感できました。
私は女性ですが、例えば、何か不利益を被ったり、自分の思い通りにならない時、
それを「女だから」という理由にして不平を言うことは、きっと簡単なんだと思います。
たとえ、性別が理由でなかったとしても・・・。
状況を自分の都合のいいように利用せず、かつ、固定観念や
差別意識に縛られず生きるということは、本当に容易ではないのでしょうね。

投稿: hanano | 2016年11月 7日 (月) 19時09分

hananoさん、こんばんは(^^♪

「Like A Girl」とは
少し意味合いが変わるかも知れませんけど、
年齢を重ねるにつれ、無意識のうちに
「固定観念」の中で生活している(生きている)ような
気がします。
hananoさんが仰られること、同感です。
ただ、いい意味での固定観念があって
秩序が生み出されていることもあるかも知れないと思ったり。

はなのいろの場合は、
結構、固定観念に縛られずに生きてる方だと思いますが、
それは言いかえれば、自分の都合のいいように生きている・・
ような気もしますし(笑)

大きくとらえると、本当に難しい問題ですねconfident

投稿: はなのいろ | 2016年11月 8日 (火) 23時45分

はなのいろさん、こんばんはnote
そうですね、年齢を重ねていく上での「経験」が、
「固定観念」を作り出していくこともあるような気がします。
もちろん、それは悪い事ばかりではなくて、おっしゃるように、
いい意味で秩序を生み出すこともあるのでしょうね。
はなのいろさんの、固定観念に縛られない生き方は、
きっとご自身のしなやかな感性からなのかも・・・なんて、
ちょっと想像しています。素敵なことですよねshine
私自身は、自由に生きているようで、また、周囲に
そう思われているようでありながらも、やはり何かに
縛られている部分がたくさんあるのだろうな、と感じます。
あれこれ考えだすと、本当に複雑なものですねcoldsweats01

投稿: hanano | 2016年11月 9日 (水) 19時28分

多少なりとも美術の世界を覗いた私、この”自分らしさ”を表現するということがいかに難しいことかで苦しみました。
常識的で人並みを良しとする環境で育った人間が、全く逆の”常識を捨てよ” ”個性的であれ””自分らしさを打ち出せ”などと云われてもどうしてよいやら戸惑うばかり。
家族からは十分に”我儘で変人”扱いされた私が固定観念と常識にがんじがらめの作品しか描けないのです。
比較的穏やかな具象絵画の団体に居たのですが、常識的な絵しか描けない自分に業を煮やして退団しました。
絵画を通じて、いかに自分が常識から逃れられない人間であるかを突き付けられましたね。
私は今すっかり老いて、”個性的な表現”から解放されました。現在持てる力でのびのびと楽しく、でも前進を常に心がけて絵を描いています。
これも”自分らしさ”のうちに入るのではないかと思うのです。

投稿: おキヨ | 2016年11月 9日 (水) 22時55分

おキヨさん、こんばんはnote
美術のような創造的な世界の中で「自分らしさ」や独創性を表現するというのは、
本当に難しいことなんだろうな・・・と、その世界を知らないながらも、
なんとなく想像します。
おキヨさんに対するご家族の感覚や、ご自身が絵画団体の中で感じられたことを
伺って、ふと思ったのですが、個性的であるとか、変わってるとか、常識的だとか、
そういったさまざまな印象は、もしかすると相対的なものかもしれませんね。
そういえば、少し話が違いますが、私自身も、個々の主張の激しい西洋社会の中に
いると、自分がとても控えめで遠慮がちな日本人のように思えたり、反対に、
日本の社会の中では、自分自身が自己主張の強すぎる人間に思えたり・・・と、
環境によって、同じかもしれない態度が、自分でも違って感じられる時が
あるように思います。
それはまだ、自分自身の軸がしっかりしていないからかもしれません。
年齢とともに、「個性的な表現」という縛りから解放されて、のびのびと自由に
かえって「自分らしく」いらっしゃるおキヨさんが、ちょっと羨ましく感じましたlovely

投稿: hanano | 2016年11月10日 (木) 19時22分

おはよございます^^
今日はスーパームーンだ〜っと、hananoさん思い出しましたfullmoon

女の子らしく。。と云うのかどうかは謎ですが、
人としての立ち居振るまいの美しさと云うのは、きちんとしつけてもらえて、それはよかったと思っています。
それでも私の母は、比較的バリアフリーな人でしたが、私が男の子だったらよかったのにと云う思いを捨てきれず、、子供はやはり感じ取ります。私は己の女性性を素直に認めずに大きくなりました。
でもそれも、ある意、柔軟性を持とう持ちたい、と云う考え方の下地になっているのかもしれないです。wink

振り返る良い機会でした^^ありがとうございます♪

投稿: ここは | 2016年11月14日 (月) 10時49分

ここはさん、こんばんはnote
スーパームーンで私を思い出してくださったとのこと、どうもありがとう~~happy01
せっかくの特大スーパームーンらしいのに、私の地方はあいにくのお天気で
雲に覆われて見ることができませんでしたが、ここはさんの所はどうでしたか?
ここはさんに、人としての立ち居振るまいの美しさをきちんと教えてくれたという
お母様、きっとご自身もしっかりした素敵な女性なのでしょうねshine
「己の女性性を素直に認めずに大きくなった」というここはさんですけど、
こうして交流させていただいている中では、とても女性らしい雰囲気が
伝わってきますよ。
それも、もしかするとここはさんの「柔軟性」からかもしれませんね。
私の母は、子供に対して、性別や年齢の固定観念をまったくと言っていいくらい
持たない人でしたので、私自身、「女の子だから」とか「お姉ちゃんだから」とか
言われた記憶が一切ありません。
きっとそれが良くも悪くも、今の私に影響しているような気がしますcoldsweats01

投稿: hanano | 2016年11月15日 (火) 00時11分

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