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2017年2月 2日 (木)

『この世界の片隅に』

前回の記事を書いてから、はや2か月。

「今年もどうもありがとうございました」も
「本年もどうぞよろしく」も言わないうちに、
1月が過ぎ、あっという間に2月になりました。


ずいぶんとご無沙汰しておりましたが、
みなさま、お元気でお過ごしでしょうか。



数か月ぶりの今日は、少し前に見た映画のお話を
させていただきたいと思います。

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『この世界の片隅に』

いろいろと話題になっているこの映画、
もうご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんし、
原作となった、こうの史代さんの漫画を読んだことのある方も
いらっしゃるかもしれませんね。

私は、映画鑑賞後に原作を買って読み、
その後、再び映画を見ました。


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本当に久し振りに、映画館へ2度足を運んだ作品です。

終わった後、まさにスタンディングオベーションしたくなるような
映画でしたが、その気持ちとは裏腹に、何とも言えない余韻に
圧倒され、放心したような感覚で、ただ、座席に座ったままでした。


通常は、エンドロールが始まるとすぐ座席を立ち去る人が
出始めるものですが、私が見た映画館では、エンドロールが終わるまで、
席を立とうとする人はほとんどいませんでした。

私と同じような気持ちを感じた人が、きっと幾人もいたのでしょうか。




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この映画は、昭和19年、18歳で広島から呉へと嫁いできた「すず」の物語です。


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戦時下のさまざまなものが不足する中で、創意工夫を凝らして
日々の食卓を作り、明るく前向きに暮らす「すず」たちですが、
日本海軍の拠点である呉の街は、やがて、たびたびの空襲に
みまわれるようになり、彼らの日常生活も変わってゆき・・・

・・・と、簡単なあらすじ風に書くと、
「戦争の悲惨さ」や「平和の尊さ」を伝えることに重きを置いた
いわゆる戦争(反戦)映画のように聞こえますね。


もちろん、映画を見た多くの人の中には、
「反戦を叫ばない反戦映画」という言葉で表現したり、
「平凡な生活が壊されていく戦争の悲劇を二度と繰り返しては
いけないと思った」といったような感想を持っている方もいらっしゃるので、
それはそれで、もちろん間違いではないと思うのです。


ただ、私がこの映画に感じた「胸に染み入るような感覚」は、
そこから来たものとは、少し違うような気がしました。



「素晴らしい映画だった」・・・と、文句なしに思うのに、
じゃあ、どこがどう素晴らしいのか、何にこんなにも心を動かされたのか
・・・と考えると、はっきりそれを掴みきれず、もやもやと考えがまとまらない。
うまく言葉にできない。

そんな映画は、これまであまり経験がありませんでした。



例えば、世間では、この映画の「戦争の時代を生きた人々の暮らしを
丁寧に描いたリアリティー」を評価する声もたくさんあるようです。

確かに、戦争を知らない私にも、戦地における特別な一面を
切り取った物語ではなく、強い反戦のイデオロギー色もない、
「すずさん」という一人の女性の生活を描いたこの作品は、
その時代をより身近に感じさせてくれました。


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戦時下にありながらもユーモアを交えつつ描かれる庶民の日常からは
「普通の人々」の暮らしぶりが生き生きと伝わってきたし、
地道で綿密な調査をもとに忠実に再現された当時の広島と呉の町並みや
対空砲火の煙や空襲などの軍事的描写もとてもリアルでした。



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そんなふうな、細やかに描かれたさまざまな場面や、
当時の人々の息遣いが伝わってくるようなリアリティーも
この映画の大きな魅力のひとつでしたが、

改めて考えてみると、私がいちばん惹かれたのは、
この物語の中に流れる「生きること」に対する思いだったような気がします。



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印象深い言葉が、この映画の中には、いくつもありました。



すずの幼馴染で、海軍に入隊し軍艦「青葉」の乗組員となった哲は、
停泊中に入浴と一夜の宿を求めて北條家(すずの婚家)を訪れた際、
すずが、炊事をし、風呂を焚き、日々の家事をこなすのを見て、
また、“当たり前”のことで“当たり前”に怒るのを聞いて、言います。

「すずは、普通じゃのぉ・・・」

「お前だけは、最後まで、この世界で普通で、まともでおってくれ」



その気持ちは、原作の中では、もっと多くの言葉で、語られていました。

 「ヘマもないのに叩かれたり、手柄もないのにヘイコラされたりする
  わしはどこで人間の当たり前から外されたんじゃろう

  ずっと考えよった

  じゃけえ すずが普通で安心した

  すずがここで家を守るんも、わしが青葉で国を守るんも、
  同じだけ当たり前の営みじゃ

  そう思うて ずっとこの世界で普通で・・・
  まともで居ってくれ

  わしが死んでも、一緒くたに英霊にして拝まんでくれ
  笑うてわしを思い出してくれ・・・

  それが出来んようなら、忘れてくれ」


普通でいること、日々の営みを当たり前に築いて生きていくこと、
そんな「普通」を、限りなく困難なものにしてしまうのが戦争なのでしょう。


「普通」が「普通」でなくなっていく時代の中で、

すずの夫である周作の母親は、息子たちが子供の頃に
夫や周りの人たちが解雇された時のことを振り返り、
こう言います。

 「大ごとじゃったよ。
  大ごとじゃ思うとった・・・ あの頃は

  大ごとじゃ思えた頃が なつかしいわ」



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この物語の中の人々が触れるのは、戦争についての
直接的な思いだけではありません。

主人公のすずをはじめ、彼らはみな、それぞれが生きた時代の一部に
たまたま戦争があったというだけです。

だからすべてが不幸であるとか、反対に、戦争がなければ
完全に幸福だったか、というと、それはどちらも違う気がします。

「戦争」のない時代にも、人は人生のさまざまな悲しみや苦しさを
かかえて生きていることには、変わりがないのではないでしょうか。



 「過ぎたこと、選ばんかった道。みな醒めた夢と変わりやせんな」

これは、周作の言葉です。
彼には彼の、「選ばなかった道」がありました。


周作の姉の径子は、好いた夫に早くに死なれ、二人で営んだ時計店は
建物疎開で壊され、折り合いの悪かった婚家の両親に引き取られた
息子とも会えなくなりますが、「ほいでもふしあわせとは違う。
自分で選んだ道じゃけえね」と言います。



自分で選んだ道も、選べなかった道も、
過去と現在を受け入れて、ただ前に進む・・・

この映画が描く、そんな「普通」の人々の強さに、
生きることへの向き合い方に、
私は心を打たれたのかもしれません。


広島に原爆が落とされ、実家の家族とも連絡が取れない状況の中、
急いで広島へ救援に向かおうとする呉の人々を見て、
すずはこうつぶやきました。

 「うちも強うなりたいよ。優しゅう、しぶとうなりたいよ。
  この町の人らみたいに・・・」

強くなりたい。優しく、しぶとくなりたい・・・

私も、そう思います。


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そして、迎えた終戦の日。


自分でも言うように「ぼーっとした」ところのある、おっとり、のんびりした、
穏やかな女性だったすずは、玉音放送で終戦を知り、諦めのような
言葉を口にする周囲の人々に反して、感情を爆発させます。


 「そんなん覚悟の上じゃないんかね?
  最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」

 「いまここへまだ五人も居るのに!
  まだ左手も両足も残っとるのに!」

 「うちはこんなん納得できん!」


戦争に勝つこともなく、最後のひとりまで戦って玉砕することもなく、
突然に終わった戦争の日々。

ずっと信じてきたものに裏切られ、そのために戦ってきたもの、
犠牲を耐えていたものが、幻想のように崩れ去って行ったことに対する
怒りとくやしさ、喪失感や虚無感。


一人外へと走り出て、畑に突っ伏して慟哭しながら、

「何も知らず、ぼーっとしたうちのまま 死にたかったなあ・・・」

と思うすずの心の中は、そんな思いでいっぱいだったのでしょう。

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何も知らず、ぼーっとして、笑っていられたら、信じ続けていられたら、
人生はどれだけ楽なことでしょう。

だけど、現実では、誰もがずっと笑ったまま、何も知らないままで、
人生を終えることはできません。


この物語の中で、すずはいろいろな「知りたくなかったこと」に出会い、
「大切なもの」を失っていきます。

大切な人やものを失う悲しみ、信じていたものが崩れていく喪失感と絶望。
それが大きければ大きいほど、心の中に生じる歪み・・・

それでもやがて、それらを受け入れ、自分の中で折り合い、
生きていく強さを取り戻します。



困難な時代を、人生の不幸や悲しみを、どうすれば人は受け入れて、
折り合って、また前を向いて生きていけるのか・・・

戦争が終わり、新しい時代へと向かっていく呉の街を
隣人と一緒に歩きながら、すずはこう言いました。

 「生きとろうが 死んどろうが
  もう会えん人がおって ものがあって
  うちしか持っとらん それの記憶がある
  うちはその記憶の器として
  この世界に在り続けるしかないんですよね」

それは、私が抱いた疑問への、ひとつの答えなのかもしれません。



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原爆で焦土と化した広島の街は、
「みんなが誰かを亡くして みんなが誰かを探している」場所でした。

物語の終盤、そんな場所で、すずと周作は一人の孤児に出会います。


子供に恵まれず、あの日、広島に帰らなかったすずと、
原爆投下後の広島の街を瀕死の重傷を負いながら
娘の手を引いて歩いた右手を失った女性・・・

それはどこか、選んだ「道」と、選ばなかった「道」の
パラレルワールドのような気もしました。

そして、広い世界の中、偶然にその道が重なり合ったところで、
すずと孤児の女の子は、出会ったのかもしれません。




 「周作さん、ありがとう
  この世界の片隅にうちを見つけてくれて」

そう言うすずの言葉は、孤児となった女の子の言葉でもあり、
そして、何かを失いながら、自分が進む道の中で
出会い、お互いの中に「居場所」を見つけ出した人々の
言葉でもあるような気がしました。



映画の最後、広島で出会った女の子を連れて列車に乗り、
呉の街へと帰ったすずと周作の目の前には、
呉を守る九つの山の嶺が広がり、
山腹の家々に灯る明かりが輝きます。


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その光のひとつひとつには人々の暮らしがあり、
居場所があるのでしょう。



片渕須直監督は、この映画を、「『居場所』の物語」と呼んでいました。


 「誰でも何かが足らんくらいで、この世界に居場所は
  そうそう無うなりゃせんよ」

すずが偶然出会った遊郭で働く女性、りんは、そう言いました。



あの時代、呉の山腹にある一軒家で、
すずとその家族は、お互いをそれぞれの「居場所」として、
そこに生きる場所を見つけて、ひたすらに生き抜きました。

その連綿とした命の繋がりが、
今の私たちへと続いているのでしょう。




生きるということは、道を選び、居場所を見つけ、「普通に」生き抜くこと。


誰かが誰かを必要として、 誰かが誰かの居場所になって、

そうして、人は人生の希望を見つけながら、
この世界の片隅で、生きているんだな・・・と、

生きるということは、この上なく素晴らしく、哀しく、複雑で、そして単純で・・・

その美しさと希望に、私は心を動かされた気がするのです。




まぎれもない傑作です。

そう言える、とても良質な物語でした。



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とりとめもない文章を書き綴るうちに、
すっかり長くなってしまいました。

ここまで付き合ってくださった方、
本当にありがとうございます。


最後に、もうひとつだけ、
原作の中のすずさんの独白から、
心に残った言葉を・・・


 「わたしのこの世界で出会ったすべては

  わたしの笑うまなじりに

  涙する鼻の奥に

  寄せる眉間に

  ふり仰ぐ頸(くび)に

  宿っている」




*・゜゜・*:.。..。.:*・*:゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*:.。..。.:*・*:゜・*:.。


映画の主題歌は

コトリンゴの『悲しくてやりきれない』




やりきれない悲しさを歌うこの曲ですが、

「この限りない むなしさの 救いはないだろうか」

という歌詞の答えと救いを、どこかに感じさせてくれるような歌声です。

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